第21回日本山岳耐久レース 長谷川恒男CUP
飯能市の夜明け | With 横山峰弘 | 普段職場で扱ってるメーカーばかり |
スタートゲート | 2時間前に力うどん | 前年優勝のダコタ&招待選手エイミー |
山田琢也さんにも会えました | With 田上さん | 出走前の風景 |
出走直前 With 田上さん&中野さん | 翌日、男子総合の表彰式 | チームの部で円井さんは第5位 |
疾走写真館より拝借 | 撮影場所 イッポチ山の東、スタート後80分辺り |
スタート直前の写真、海外招待選手の間に居るのは〜 |
リザルト
種目 | 男子総合(71.5km) | |
部門 | 男子20歳代 | |
所属 | MH.TRC | |
ナンバーカード | 2134 | |
記録 | 10時間31分00秒 | |
種目順位 | 第127位/2289人中 | |
部門順位 | 第16位/126人中 | |
男女総合順位 | 第136位/2579人中 |
通過タイム | 2013年 | 2011年 | 2010年(初出場) | |||
第一関門 | 2時間43分47秒 | (55位) | 2時間55分19秒 | (61位) | 2時間51分07秒 | (60位) |
第二関門 | 6時間04分48秒 | (101位) | 5時間50分55秒 | (47位) | 5時間40分47秒 | (41位) |
第三関門 | 9時間03分00秒 | (124位) | 8時間58分27秒 | (80位) | 8時間19分31秒 | (52位) |
総合タイム | 10時間31分00秒 | (127位) | 10時間51分05秒 | (89位) | 9時間53分58秒 | (60位) |
仲間の記録 | ※一部抜粋 | |
円井さん | 9時間07分53秒 | 41位 |
田上さん | 13時間27分11秒 | 423位 |
植田君(同僚) | 17時間40分16秒 | 1154位 |
経過
5時半起床、大会の準備をして6時半から朝食。
宿の朝食なので力うどんではなく普通の朝食で御飯は2杯頂く。
7時半、宿をチェックアウトして、8時半に会場直ぐ近くの穴場駐車場で中野さん&田上さん&中田さん(サポート役)達と合流。
しばらく談笑して10時頃受付を済ます。
11時から近所の蕎麦屋で力うどんを食べる。
12時半にスタート地点に移動。
スタートラインでは前年覇者のダコタ選手と白人招待選手の間の二列目に陣取ってスタートを待つ。
そして13時、いよいよスタート。
★スタート〜今熊神社(4.24km)
目標は9時間切りだったが、実はもっと上を狙っていたので周りの流れに乗ってハイペースで走行。
当初は円井さんの後ろに付かせてもらう予定だったが、スタート直後から円井さんの前で走っていた。
★今熊神社〜第一関門(22.66km)
登山道に入ってからは40番手ぐらいの位置で、何人かにグループで走行。このグループには総合順位で20位台の選手達が居た。
20km付近までは順調で前回大会で感じたような足の重さもなく、「このまま行ければ8時間半ぐらいは行けるかも〜」なんて思いながら走る。
しかし21km付近からペースダウン。何故だ〜(−−〆)
太腿が異常に重たくなってきて一気にペースが落ちた。
登りに差し掛かると走れなくなり歩いたりしていると、円井さんにも追いつかれたしまった。
円井さんと話すと、彼は”ウルトラマラソンの疲労が抜け切れていなくて、序盤だけど終盤の様な足の状態”と言っていた。
ウルトラマラソンを走った者同士ここからは一緒に走ろうと思ったが、全く付いていけなかった。
そして第一関門通過。タイムは2時間43分で過去最速だった。
★第一関門〜第二関門(42.09km)
この区間では既に足が死んでいて、下りや平坦な所はなんとか走れるけど、登りになると全く走れずにほとんど歩いていた。
足自体は死んでいたので少しでも復活する為には行動食に頼るしか無く、エナジー系のゼリーや固形物を適宜食べる。
だがまだ気持ち的には”もしかしたら復活するかもしれないし、まだ9時間ぐらいは狙える可能性はある”と期待していた。
が、残念ながら復活する事は無かった。
いつしか10時間切りすら危ういし、下手したらワースト記録が出るかもしれない、と思うようになっていた。
そして第二関門は6時間5分で通過。過去最遅だった。
★第二関門〜第三関門(58km)
第二関門では依然足は死んでいたので、ブルーシートの上に腰かけて、小休止。
しっかり栄養を補給して10分程休憩。
走行開始後は少しだけ復活したので、平坦部分や下りを中心に小走りで走行。
しかし長い登りでは流石に走れないので歩いて登る。
この時点ではタイムや順位はどうでも良くて、とりあえずこの苦しみから解放されたい(ゴールしたい)という一心で進んでいた。
途中でちらほら見える青梅市の夜景がとても綺麗だった。
第三関門は9時間3分で通過。ここも過去最遅だった。
★第三関門〜フィニッシュ(71.5km)
第三関門を9時間3分で通過できたことで11時間以内にはゴール出来ると思っていたけど、何が起こるか分からないので引き続き緊張感を持って走行。
第三関門以降は日の出山さえ登り切れば、残りはほとんど下りなので、楽な区間であると同時に、
”もう少しでゴールだ”という思いもあったので自然と活力が湧いてきて楽しみながら走る事が出来た。
ラスト1km地点から急な舗装の下りになり、右足の膝が痛み出して、思うように走れなかったけど、なんとか堪える。
それから住宅街に出て、舗装道路をしばらく走り、念願のフィニッシュゲートをくぐる事が出来た。
タイムはセカンドベストの10時間31分だった。
ゴール後は無料の豚汁を食べて、200円のカップラーメンを食べてから、送迎バスに乗りお風呂へ(1000円)。
サッパリした後で車に戻り、車中泊。
しかしレース中にカフェインを摂り過ぎた影響なのか、目が冴えまくってなかなか寝れずに朝を迎えてしまう。
その後は仲間達と合流して閉会式を見てから、帰路についた。
こうして自身3回目のハセツネは幕を閉じた。
総括
今回の大会はロード練習こそ不足していたが、その分山には相当通ったし10時間を越えるような山行も何度も行ってきた。
感覚的には過去の2回よりも登山力は大幅にアップしていたし、筋持久力も確実上がっていたので高確率で9時間は切れると思っていた。
しかし結果は9時間切り所かベスト記録も出すことができずに散々な結果だった。
今思えば原因として考えられる事は三つあった。
ハセツネを舐めていた?。
やはりハセツネは奥が深いし9時間を切るには相当努力しないといけない、今年の様な練習では到底無理だという事が分かった。
第一関門まで飛ばし過ぎた?
2列目からスタートした事とある程度自信があったので周りに合わせてハイペースで走っていた。
なので第一関門までは過去最速で疲労感もそれほど感じずに走れていたが、ハイペースが祟ったのかそれ以降はガクンッとペースダウンしてしまった。
2週間前の100kmマラソンの疲労が残っていた?
ウルトラ後は三日間まともに歩けなかったし、当然走る事もできなかった。
八日後に走ったがやはり太腿裏に疲労感が残っていて思うように走れなかった。
いつも8時間台で走る円井さんが9時間掛かっていて、「やはり疲労が残っていた」と言っていた。
このことからやはり今の身体では2週間前の100kmは負担がでか過ぎたのか・・・
だがしかし今回の大会は辛かったけど、現時点で持っていた全ての力を出す事が出来たし完全燃焼出来たと思っているので満足している。
走行中は”何でこんな辛い事してるんだろ〜”と何度も思ってしまったが、ゴールしてしまうとまた挑戦したいと思っている自分が居る。
そして来年もまたエントリーしてしまうんだろうな〜(*^_^*)
来年はもしエントリー出来たとしたらウルトラマラソンは回避しようと思う。
そして次こそは9時間切りに挑戦だーーー!!